研究内容

概要

糖尿病網膜症では、血管透過性亢進に伴う網膜浮腫と、網膜虚血に伴う血管新生が、視力低下の原因となります(図1)。いずれの病態もレーザー光凝固や硝子体手術により治療されてきましたが、近年では血管内皮細胞増殖因子(VEGF)阻害剤を用いた薬物療法が一定の治療効果を上げています。しかし、いかなる治療を以てしても病状が改善せず、高度の視覚障害を余儀なくされることがあります。糖尿病網膜症が、働き盛りの中高年における中途失明原因の第一位(本邦では毎年3000人)であることを鑑みると、新たな治療法の開発は喫緊の社会的課題と言えます。我々は、網膜における浮腫と血管新生をマウスで再現することにより、糖尿病網膜症の病態を解明し、新たな治療コンセプトを創出することをめざしています。

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[図1]糖尿病網膜症の病態
黄斑浮腫および血管新生により視機能が障害される。

① 網膜血管透過性に関する研究

網膜毛細血管の内腔を縁取る内皮細胞は、ペリサイト(周皮細胞)により被覆されています。1960年代に報告された剖検眼の観察を基に、糖尿病患者の網膜ではペリサイトが変性・脱落することによって血管壁が脆弱化し、浮腫や出血が生ずると考えられてきました(図2)。しかし高血糖をきたすマウスやラットではヒト網膜症の病態を再現することができないため、糖尿病網膜症の発症機序については長らく解明が進みませんでした。そこで私たちは発想を転換し、「高血糖を経ずにペリサイトが消失すると、網膜血管にどのような異常が起こるのか?」を直接評価しようと試みました。

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[図2]糖尿病網膜症の発症仮説

糖尿病網膜症では、ペリサイトの消失により毛細血管壁の恒常性が破綻する。現在のところ、ペリサイトが消失する分子機構は不明である。

新生血管の内皮細胞は、血小板由来増殖因子B(PDGF-B)を分泌し、PDGF受容体β(PDGFRβ)を発現するペリサイトの増殖・遊走を促進します。マウスでは出生直後から血管発生が開始しますが、PDGFRβに対する阻害抗体を新生仔マウスに投与すると、網膜の内皮細胞はペリサイトの被覆を獲得しないまま血管網を形成します。こうした網膜血管は著しく拡張・蛇行することに加え、内皮細胞間の接着が開裂して血管透過性が亢進し、急速に浮腫・出血をきたします(図3)。これらの研究から、ペリサイト消失が糖尿病網膜症と同様の血管異常を惹起しうる十分条件であることが世界で初めて実証されました(文献1-3)。

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[図3]ペリサイト消失による網膜血管の異常

抗PDGFRβ抗体の投与によりペリサイトを消失させたマウス網膜では、糖尿病網膜症に類似した血管瘤、浮腫、出血を呈する。

本講座では、ペリサイトを消失した網膜血管の内皮細胞における①遺伝子発現、②細胞間接着、③細胞骨格、④細胞内シグナル伝達の異常を明らかにする研究に取り組んでいます。また、マウス網膜血管の生体イメージング技術を開発することにより、個々の細胞動態や血流の変化をリアルタイムで観察する研究を行っています。こうした研究により、糖尿病黄斑浮腫に対する新規創薬標的分子を同定することをめざしています。また、網膜をモデルとしたこれらの研究は、血液脳関門(Blood—Brain Barrier)の制御機構に加え、腎臓や神経における糖尿病細小血管障害の研究にも応用されると期待しています。

② 網膜血管新生に関する研究

糖尿病網膜症が進行すると、毛細血管が閉塞して網膜への血流が途絶します。虚血に陥った網膜はVEGFを旺盛に分泌し、血管新生を誘導します。こうして形成された血管は、なぜか網膜の外に逸脱して伸長します。このため、網膜内の虚血が一向に改善しないばかりか、新生血管が出血や網膜剝離を引き起こします。同様に、網膜血管が閉塞する網膜静脈閉塞症や未熟児網膜症でも、網膜外に逸脱する新生血管が視機能障害の原因となります。これらの虚血性網膜疾患に対しては、血管新生の抑制を目的にレーザー光凝固治療が標準的に行われています。これは、虚血領域の神経細胞やグリア細胞を間引きして酸素需要を下げることにより、少なくなった血流供給との均衡を保というものです。最近では、抗VEGF薬による血管新生阻害療法も行われ始めています。しかし、血管新生が虚血に対する生理的ストレス反応であることを考えると、これを単なる「悪玉」と捉えてよいものでしょうか。最も理想的な治療は、新生血管を虚血網膜内に誘導し、機能的な「善玉」血管網を再生することだと考えられます(図4)。では、どうすればよいでしょうか?その大きなヒントが、網膜血管の発生過程にあると考えています。

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[図4]虚血網膜における血管再生療法の開発

(A)蛍光眼底造影写真。新生血管(矢印)は虚血網膜内には伸長せず、網膜外に逸脱する。
(B)レーザー光凝固。虚血領域の神経細胞を破壊し、酸素需要度を低減させる。
(C)機能的血管網の再生。新生血管の伸長方向を網膜内に是正する。

(1)アストログリア細胞による足場の形成

網膜血管は、ヒトでは妊娠14週頃、マウスでは出生直後に視神経乳頭部から網膜内に進入し、周辺部に向かって放射状に伸長します(文献4)。この過程で新生血管が網膜外に逸脱することはなく、神経細胞やグリア細胞に整然と血流を供給して低酸素を改善します。そこで私たちは、発生期の網膜内に新生血管を誘導する仕組みを解明し、次に虚血網膜で起こる異常を明らかにすることで、血管再生療法の開発に向けた糸口が見いだせると考えました。網膜血管の発生では、アストログリア細胞がVEGFを分泌するとともに細胞外マトリックスを形成し、新生血管が網膜内に進入する足場をつくります。その結果、アストログリア細胞のネットワークを鋳型にして網膜血管網が形成されます(図5)。私たちは先ず、血管内皮細胞が網膜内に進入するための足場づくりに着目し、アストログリア細胞に発現する核受容体Tlx(Nr2e1)が、細胞外フィブロネクチン・マトリックスの形成を制御することを見いだしました(文献5)。網膜アストログリア細胞は、発生期では低酸素に応じてTlxを発現しますが、虚血網膜症モデルマウスではTlxを発現せず、フィブロネクチン・マトリックスを形成することができません。虚血網膜でもアストログリア細胞を賦活化して足場形成を促せば、新生血管を網膜内に誘導できるのではないかと考えています。

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[図5]網膜アストログリア細胞による足場の形成

(A)新生仔マウス網膜の新生血管先端部。内皮細胞は多数の糸状仮足を形成する。
(B)アストログリア細胞(緑)はVEGFを分泌するとともに細胞外マトリックスの足場を形成し、内皮細胞(赤)の糸状仮足形成を促進する。
(C)生後4日マウス網膜。アストログリア細胞(緑)のネットワークを鋳型にして、内皮細胞(赤)が血管網を形成する。
(D)生後7日Tlxノックアウトマウスの網膜。ヘテロ型(左)ではフィブロネクチン蛋白質(緑)がアストログリア細胞(赤)の周囲に細胞外マトリックスを形成するが、ホモ型(右)ではフィブロネクチンの発現量が低下するとともに、細胞外への輸送が阻害される。
(E)発生期網膜アストログリア細胞における低酸素応答。

(2)内皮細胞の糸状仮足形成を制御するシグナル分子

新生血管の先端部では、内皮細胞が多数の糸状仮足(フィロポディア)を形成し、周囲の微小環境を察知して伸長方向を決定します。発生期網膜ではマトリックス結合型VEGF(ヒトではVEGF165と189、マウスではVEGF164と188)がアストログリア細胞の周囲に濃度勾配を形成し、内皮細胞の糸状仮足伸長を促します。しかし、新生血管の伸長方向を正しく規定するためには、VEGFによるアクセルだけではなく、何らかのブレーキが必要であると考えられます。私たちは、神経軸索の伸長を阻害するPlexin受容体ファミリーの内、PlexinD1が網膜新生血管の内皮細胞に強く発現することを見出しました。そのリガンド分子であるSema3Eは網膜神経節細胞から分泌され、新生血管の糸状仮足形成を抑制することを明らかにしました。さらに、内皮細胞に発現する低分子量G蛋白質RhoJが、PlexinD1の下流で細胞内アクチン線維をバラバラにすることをつきとめました。つまり、Sema3E-PlexinD1-RhoJシグナルが、正規のルートから逸脱した糸状仮足を刈り取ることにより、新生血管が伸びる方向を調整しているといえます(図6)。私たちはPlexinD1やRhoJを標的とすることにより、虚血網膜症や癌の異常血管新生を選択的に抑制できることを報告しており(文献6, 7)、これらの分子を標的とした創薬開発が期待されます。

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[図6]内皮細胞の糸状仮足形成を制御するシグナル分子

(A)新生血管内皮細胞におけるシグナル伝達。活性型RhoJは、Sema3E-PlexinD1シグナルの下流でアクチン線維の脱重合を誘導し、糸状仮足を退縮させる。
(B)虚血網膜症モデルマウスにおける血管再生。Sema3E蛋白質の眼内投与により、網膜外に逸脱する異常血管新生が選択的に抑制される。抗VEGF薬の投与では、網膜内の血管再生も阻害されるため、網膜虚血が遷延する。

文献

  1. Uemura A et al. J Clin Invest. 110:1619-1628, 2002.
  2. Ogura S et al. JCI Insight. 2:e90905, 2017
  3. Uemura A. J Biochem. 163:3-9, 2018
  4. Uemura A et al. Exp Cell Res. 312:676-683, 2006.
  5. Uemura A et al. J Clin Invest. 116:369-377, 2006.
  6. Fukushima Y et al. J Clin Invest. 121:1974-1985, 2011.
  7. Kim C et al. Cancer Cell 25:102-117, 2014.