先輩からの声 Vol.004

Vol.004 「大学院生兼シニアレジデント的生活」

文責
植田 次郎
所属
名古屋市立西部医療センター城北病院 眼科 医師
掲載日
2011年7月1日

-植田次郎先生が、当時臨床研究医兼大学院生のときの体験記です-

今回の医局だよりは、僭越ながら名古屋市立大学入局2年目で大学院生兼シニアレジデントの植田次郎が担当させていただきます。まず自己紹介をさせていただきます。自分は東海大学を平成17年に卒業し、卒後1年目は江南市の昭和病院、2年目は名市大病院で研修しました。また、一日でも一歩でも早く眼科医としての道を進みたかったので、2年目の自由選択期間の8ヶ月間全部を眼科に費やしました。

基本的に当医局の卒後研修では、入局1年目(医師3年目)は大学で1年間研修し、翌年から関連病院へ赴任するのですが、自分は研修医2年目の8ヶ月間大学の眼科で研修させていただいていましたので、3年目の入局1年目に、関連病院である三重県いなべ市のいなべ総合病院へ1年間の期間限定付きで赴任させていただきました。この時初めて三重県の地理を学び、日本にはまだまだ自然が豊かであることを実感しました(運転中に野生の猿たちの大移動に出くわしたのですが圧巻でした)。そこで医長である水野史門先生に根気よくご指導いただき90例近い白内障手術を執刀させていただきました。

今年4月から大学病院に戻ることは決まっていましたが、ちょうど小椋教授から勧めていただいた大学院にも興味がありましたので大学院入学試験を受験し、めでたく大学院生兼シニアレジデント的生活が始まりました。要するに、『病棟や外来の業務で臨床を学びながら研究や実験もする2度おいしい?身分』ということです。帰局してすぐ4月末にはポスター発表のためアメリカで開かれたARVOに参加しました。その写真を掲載させていただきましたが、会場内は日本の学会では考えられないTシャツと短パンのようなラフな格好でもOKでした。

夏も終わりに近づき、新入局の先生たちも業務に慣れて、徐々に手術執刀の機会があるようになった頃、ついに自分も硝子体手術を執刀させていただけることになりました。症例はencircling術後の黄斑上膜でアーケード内にべったりと分厚い膜が張っていました。常日頃、大学では小椋教授の手術を拝見させていますが、どんな難症例でもいとも簡単そうに芸術的に執刀されるので、自分自身はそんな訳にはいかないとわかってはいるのですが、何となく自分でもできそうな気になってしまうのです。しかし、実際には膜をつかむ操作は非常に緻密で何度かつかみましたが、膜の剥離にかかるとささくれの様に手応えもなくすぐにちぎれてしまいました。手術中指導に就いていただいた森田裕先生に相談しながら悩みました。『中心部の強固な膜をどう処理するか、無理に引っ張れば網膜の浮腫も強かったため黄斑円孔になりかねない・・しかしここで諦めてしまえば変視症は残ってしまい、自分の執刀に快諾していただいた患者さんには申し訳ない、もう一度慎重に挑戦し無理ならここで潔く自分の限界を悟ろう』と思いました。教授をはじめ諸先輩方の受け売りですが、手術の上手下手は、技術はもちろんですが、一番大事なことは自分の技量を知り、状況の変化を見極めて、時には引く勇気も必要だと教えられたことが頭をよぎりました。何とか粘った結果、黄斑上膜(ILMも一部くっついてきました)を無事に剥がすことができ手術終了。後から、初めての硝子体手術を完投した感想を聞かれた時は「何も言えねっ、ちょー気持ちいい」(掲載される頃にはかなり古い引用となっているでしょうね)という感じで最高な気分でした。しかし、何よりもうれしいことは視力が0.3から0.9に上がり、変視症も減少した患者さんの満足した笑顔です。

何はともあれ合併症もなく無事に済んだことは、術中ご指導していただいたた森田先生、いなべで手術の基本を教えていただいた水野先生をはじめ、今日までご指導いただいた諸先生方のおかげです。まだまだ未熟者ですが今後とも皆様のご指導のもと一歩一歩成長していきたい所存ですので、さらなるご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

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