Abroad

留学記

留学記

2018年度

米国 ジョンズホプキンス大学からの留学だより

名前(肩書き)
小椋 俊太郎(助教)
所属大学(卒業年)
名古屋市立大学(2010年)
留学先
米国ジョンズホプキンス大学

2017年5月からアメリカ東海岸、メリーランド州ボルチモア市にあるJohns Hopkins大学の Wilmer Eye Instituteに留学をしております。メリーランド州はワシントンD.C.の北側に位置しており、ボルチモアからD.C.までは車で1時間強、ニューヨークのマンハッタンまで3時間半程のロケーションで、週末などに日帰りで訪れるというのが一般的です。

 

留学先のLuttyラボではポスドクは現在私一人であり、培養細胞実験からラットの硝子体内や網膜下注射など私が主として全て熟しています。最近は委縮型黄斑変性における脈絡膜の肥満細胞の関与をメインテーマに研究を行っております。脈絡膜は網膜ほど研究対象となっておらず、非常に面白い分野であると感じています。今年のARVOでは動物モデルの肥満細胞における薬剤効果を検討した発表を行いました。これまでよい治療方法のなかった委縮型加齢黄斑変性に対し、新規治療法の開発することを目標に研究に取り組んでおります。またARVO中に医局の先生方にお会いできとても有意義の一時を過ごささせて頂きました。改めて感謝申し上げます。まだ日本を離れてたったの一年ですが、すでに浦島太郎になった気分でした。笑

 

ラボのあるWilmer Eye Instituteは6階建ての建物全てが眼科研究室で構成されており、角膜を扱う研究室からナノパーティクルをテーマとした研究室まで分野は多岐に渡り、幅広く研究しています。実験用の手術台やZeiss手術顕微鏡、動物施設が眼科専用にあるなど設備が整っている反面、共焦点顕微鏡などの機器類は共用で、予約が数週間先まで埋まっており、大学院の植村研でいつでも使用できた環境がいかに恵まれていたかを最近痛感しています。

 

Johns Hopkins大学医学部は全米屈指の名門校として広く知られている反面、ボルチモアは全米屈指の治安の悪さでも有名で、渡米前にウェブで検索をしても街全体がハザード地域に指定されており非常に心配していました。実際には、これまでに特に危険には遭遇しておりません!が、夕方薄暗くなってからのバスと地下鉄の乗り継ぎはやはり身構えてしまいます(とはいうものの、これは全米どこでも同じだとは思いますが…)また大学内の連絡メールでキャンパス周囲の発砲、強盗事件のアラートなども時々流れてきます。新入職者向けのオリエンテーションで銃所持者に遭遇した場合などの対処法の必須受講講座があったことには驚きました。一方で、ショッピングモールなどで少し子供から目を離しただけで店員さんや周りの方に注意されるなど誘拐などの犯罪を地域全体で防止するように徹底されています。気が緩んだ時こそ何かが起こるかも知れないと日々気を引き締めてるようにして生活してはいます。

 

住居はキャンパスのあるダウンタウンではなく、留学生家族が多く住む郊外のアパートメンツを選びました。僕が住んでいるアパートメンツは現在7組の日本人研究者の家族が入居しており、時々バーベキューなどを行って情報共有をしています。妻は現地人の友人もでき、娘たちを連れて一緒に地域の行事などに参加したりして楽しんでいるようです。長女は最近は家でも英語も話すようになって、子供達の順応の高さに驚いています。

 

渡米後1年を経てアメリカでの文化の違いにも家族共々慣れ、研究にも打ち込めるようになってきました。何とかよい結果を残せるように頑張っていきたいです。留学の機会を下さった小椋教授始め、医局の先生方に深く御礼申し上げます。

米国 バージニア大学からの留学だより

名前(肩書き)
平原 修一郎(非常勤講師)
所属大学(卒業年)
名古屋市立大学(2005年)
留学先
米国バージニア大学

2016年11月よりアメリカ合衆国、バージニア大学眼科(University of Virginia, Department of Ophthalmology)、 Center for Advanced Vision Scienceにて、Jayakrishna Ambati教授の指導のもとPostdoctoral Research Associateとして留学をしております。留学を開始してまもなく2年となります。去年に引き続き2回目の留学報告で、さらに1年が経過し、帰国を目前とした今の気持ちをお伝えすることができればと思います。

 

私の留学先について、もう一度ご紹介申し上げます。Ambati教授は世界をリードする加齢黄斑変性の研究者で、Nature、Cell やScienceなど最高峰の学術誌に多数の業績を残しておられます。研究室は2016年春までケンタッキー州レキシントンのケンタッキー大学にて主宰されていて、これまで名古屋市立大学眼科からは、櫻井英二先生、野崎実穂先生、山田潔先生、平野佳男先生、水谷武史先生が留学されてこられました。研究テーマは加齢黄斑変性の病態解明や治療法の開発を目標として、私は主にマウスやラットを対象にした実験を行っております。

バージニア大学は、独立宣言の起草者である第3代大統領トーマス・ジェファーソンによって1819年に創立され、トーマス・ジェファーソンの邸宅であるモンティチェロとあわせて、世界文化遺産として登録されている大学でもあります。大学のあるシャーロッツビルという街は、小さな大学街ではありますが、とても美しい景観が多い街並みです。必要な物品はだいたい揃っており(日本のラーメンも食べることができます)、バージニア州では一番の病院である大学病院もあるので、子どもを連れてこられる方にも安心な街だと思います。車で2時間ほど行くと(アメリカでは、日本のような渋滞はないので、2時間のドライブはほぼ隣町感覚です)、アメリカの首都ワシントンDCがあります。DCへは、スミソニアン博物館などの観光や、買い物などで週末によく訪れていました。

 

 

 

都市圏にすむ問題は、家賃や、子供をデイケア(保育園やプリスクール)に預ける費用が非常に高くなる傾向が高いのですが、その反面、シャーロッツビルは、DCやニューヨーク、ボストンなどの大都市圏と比べると家賃や、デイケアの施設利用費はかなり安くすみ、それでもラボから出る給料とトントンではありましたが、不足のない生活が送れました。すぐ近くのシェナンドア国立公園はバーベキューや避暑に最適で、シャーロッツビル周辺にはワイナリーも多数あり、アメリカならではの自然に囲まれた生活を満喫できたのもいい経験になりました。

 

     

 

今、帰国を目前にして思うのは、当直やオンコールもなく、自分のペースで仕事を進めていくことのできたこの時間は特別でした。とくに、朝ご飯を子供たちが起きてから一緒に食べて、子供たちが寝てしまう前に帰宅して食事を取ることもできて(もちろんできない日もありますが、月に数えるほどでした)家族との時間を存分に作れたのは私たち家族にとって貴重な時間だったなとしみじみと思います。 最後にはなりますが、私がこの2年間の留学で得たことは、学術的なものはもちろんですが、それよりも私がどれだけたくさんの人に支えられて生きているのかということでした。全く知らない場所へ旅立つに際し不安で押しつぶれそうな中、笑顔で励ましてくださり見送ってくださった方々、渡米後に私を支えてくれたラボの仲間たちや家族、そしてまた日本に帰国するに向けて私を迎えてくださる方々。みなさまの支えがあるからこその今があると確信しております。 小椋教授をはじめ、大学院のご指導を賜りました野崎先生、医局の先生方、私に留学の機会をくださりありがとうございました。あっという間の二年間でしたが、今後の診療に役立たせていくことができたらと思います。

 

 

 

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